2004年11月 雪

県境のトンネルを抜けると、列車の両側の窓が突然明るくなった。雪だ。列車は谷底を突き進み、1m近い屋根雪が沿線民家の軒に大きく被さっている。両側にはスキー場のリフトが見える。ここは越後湯沢である。次のガーラ湯沢駅はシーズンになると臨時電車が増発され、沢山のスキー客を運んでくる。

数年前の二月、ふるさとから知らせがあり急いで帰郷した時のことだった。新幹線は長岡に向かって走る。平野に出ると雪の量も大分減ってきた。このあたりは上越線が並行して走り、塩沢、六日町(現南魚沼市)、大和、越後川口(隣接して山古志村がある)、小千谷、長岡へとつながっている。

今回の新潟県中越地震の地すべり被害は、斜面崩壊が約1660ヶ所に上り、崩壊土砂の総量は計約7千万㎥と東京ドームの約5 6倍に達するという。崩壊個所のうち、土砂量が百万㎥以上の大規模なものが1 0ヶ所あり、そのうちの5ヶ所が山古志村、小千谷市の芋川流域に集中している。5ヶ所のうち2ヶ所は土砂が川をせき止め、危険な「天然ダム」となっている。                        (11月1日国土交通省発表)

このあたりには幾つかの断層が走り、以前から地すべりの要注意地帯であった。台風で地盤が緩んでいた上に今回の震災である。

ここ塩沢は、今から200年前(寛政12年)に『北越雪譜』を著した鈴木牧之を輩出している。この本は、「雪」を主題に冬の過酷な自然や風俗・習慣などを書き綴ったものだ。「積雪量」の記述を見ると、1834年(天保5年)の大雪の時、或る人が初雪から12月25日まで雪が降るたびに積雪量を測ってみたら18丈になった。

1丈は約3mなので、延べ積雪量は約54mになる。一寸に信じ難いが。

一方ヨーロッパでは、ナポレオンのモスクワ遠征時の退却劇で、遠征軍がロシア大陸の冬将軍に行く手を阻まれた。行軍の兵士は、厳寒と積雪で次々に倒れて凍死してゆき、大敗北を喫したのも丁度この時期である。当時は約300年続いた小氷河期末期に当り、世界的にも寒冷であった。

シベリア大陸から南下した寒気団は、日本海を渡る時に海面から多量の水分を吸い上げ、日本列島の山脈にぶつかる時に北日本側に多量の雪を降らせる。中越の魚沼駒ヶ岳、巻機山、苗場山などの山稜は日本海に面して連なり、このあたりは世界的にも有数の豪雪地帯である。今回の震災の被災地は、その谷間に散在する。

笹の葉を 一枚たてて 雪新た 勝彦