2004年7月 岡虎ノ尾

人影が、たちまち青蔦の絡まった潅木の斜面に没していった。しばらくして、「この場所はあまりないから西に移動するぞ。」下の方から声が上る。ここは、八王子城址山頂直下の南斜面である。蔓採りの2人組が、手探りで昨年の蔓を探している。年ばえは70歳台前半ほどであろうか。日焼けしてがっちりとした体形の老爺たちである。

上の広場に戻ってきたので、しばらく閑談する。「今でも、俺らなら下から20分位で登れるよ。」私は裏道からここまで登ってくるのに約40分は掛かってしまった。勿論、ゆっくりと休憩しながらではあるが。

しばらく経って下から、約40人の登山姿の団体が登ってくる。この人達には登山口で出会った。なんでも都心の方々から来ているという。60歳台以降の山行会の男女である。これから、北高尾山稜伝いに大嵐山、関場峠、堂所山、底沢峠を経て相模湖に降りるのだという。約6時間ほどの健脚コースである。一行の無事を祈って表道から下山する。

八王子城は、小田原北条三代目氏康の三男氏照が滝山城(1580年前後か)から移って築城したものだ。天正十八年(1590年)の秀吉の北条攻めの際には城主氏照は小田原本城に詰めていた。この城主が留守の間に前田利家、上杉景勝を総大将とする北方軍に攻められ1日で落城、城兵、女子供など千数百人が惨殺された。戦後氏照は、北条四代目氏政と共に秀吉から切腹を命じられ、北条氏が滅亡した。徳川時代には城跡が天領となり、人手があまり加わることなく今日に至っている。

麓に降り、谷添いの御殿谷川を上流に向かって歩く。この谷川は、落城の際に攻め滅ぼされた人々の血で3日間真っ赤染まっていたという。
21世紀の現在、イラクその他で戦争やテロが頻発している。4百余年前の戦国時代にも国内統一の名の基に戦争が行われた。動植物の世界では、共生と循環によって種が保もたれ、子孫に受け継がれている。人類の出現により、森林の伐採などによる自然破壊が進んだ。

近代の科学技術の進歩と資源の過剰な消費により、急速に人口が増加して環境破壊が加速し、今日地球規模の異常気象が起きている。手遅れではあるが、これからの課題は人間が自然を支配するのではなく、ヒトもまた、動植物の一員であることに立ち戻る必要がある。

大手門跡から曳き橋を渡って石畳の階段を上り、冠木門をくぐって御主殿跡に出る。そこは刈り込まれた広い草地になっており、北側が谷の斜面になっている。木陰の切株に腰を掛け休んでいると、涼しい風が身体を吹き抜けていった。

おちこちに 虎の尾跳ねる 曲輪かな 幹治