2005年3月 さくら

サー安里屋(アサド)ぬくやまによう(サーユイユイ)あん美(チユ)らさ生(ウンマ)りばしょマタハーリヌチンダラカヌサマヨー
(八重山島安里屋(アサドヤユンタ)
太鼓と三味線が鳴り出す。土地の人が低い声で唄いだした。以前、聞いたことのある歌詞と大分違う。正調安里屋ユンタである。谷里前(タンチャメ)・西武門節(ニシンジョウブシ)・仲島節(ナークーニー)・二見情話など次から次に続く。一人の老人が立ち上がり踊りだす。つられて皆んなが踊りだした。

2000年九州・沖縄サミットがあった頃のこと。ここは那覇市郊外の土地の人が集まる15・6人も入れば一杯となる小さな民謡酒場だ。舞台などはない。夜9時頃から人々がボツボツ集まってきて、やがて2時間ほどすると盛り上がってくる。隣に座ったご老人が私に話しかけてきた。なんでも若い頃は東京で仕事をしていて、今は国に帰ってきて余生を過ごしているとのことだ。ここでは、時間がたっぷりと過ぎ長生きできるそうだ。

確かに沖縄に来てみると、土地の人の表情が穏やかで話し振りもどこかゆったりしている。特にご老人が元気で、顔つきが良い。お年寄りは尊敬され、家族の一員として確たる居場所がある。昔の日本の家庭生活が息づいているようだ。それに比べ、東京の生活はあまりにも「もの」に振り回され、ゆとりがなく「こころ」が貧しくなっているように見える。

沖縄県の島数は沖縄本島を入れて363あるそうだ。氷河期には島々が陸続きとなり東海に浮かぶ一大列島として、本土とつながり原日本人が広く住んでいた。沖縄には日本文化の原型が今尚残されているようだ。
翌日、名護市に向かった。

仕事の打ち合わせが済んでから名護城(ナングスク)に立ち寄る。約400の石段が山の中腹にまで続く。14世紀初めに割拠した名護城主の遺構が高台にある。桜が一面に咲いている。今は2月の初旬。気温は15℃前後だろうか。コートは必要がない。平日のため人影はまばらだ。

日本の桜前線の始まりがここだ。品種は、緋寒桜で南方系の原種のため、ソメイヨシノに比べピンクが濃く花弁が小さい。本数は2万3千ほどとのことである。斜面に添って一面に植えられてある。眼下には名護湾が見える。1月中旬から2月上旬が花期だそうだ。1月末には日本で一番早い「桜祭」が開催される。
今年の2月18日、JR谷保駅脇で、雪が積もった満開の寒桜を見た。駅に問い合わせてみると、例年の開花は2月初旬とのことであった。

雨風を ひきつれてくる 桜かな 幹治