2005年8月 多摩の谷戸田

線路に近い見通しのよい畑地から、低山の南面に入り込んだ広い谷戸に入った。谷戸の中は幅が50m~150mで深部まで約1km位か。その谷間には大小約10位の沢が入り込み、一面に湿地を好む葦や柳等が鬱そうと生えている。その中で僅かに約3aの田んぼが残っていた。谷戸の山に登り斜面を見渡すと、木々は下刈りがされずに蔓が覆い、杉林は暗く間伐されていない。ここは東京都で自然環境の資質が一番高いと評価されているあきる野市横沢入である。

400年頃に、この谷戸にやってきた人々はこの地を開墾して水田を広げ耕作を続けてきた。1970年代から始まった国の減反政策により、ここに5~6haあった田んぼの殆んどが耕作を放棄していった。「水田が森林をつくった」と富山和子はいっているが、ここでも田んぼを止めると山の森までが荒れている。この谷戸に近年まで谷戸田があったとはとても想像出来ない。

水稲は3~4ヶ月の湛水によって育ち、田んぼは稲を育てる灌排水装置だ。これを元通りにするには水田開発時と同じ位手間がかかるという。皮肉なことに、現在はここが有名な蛍の生息地になっているそうだ。

谷戸(やと)を広辞苑で調べると、谷・谷津(やつ)の解説があり、低湿地。
(関東地方で使われ。特に鎌倉周辺にして多く現存。語源はアイヌ語からか)

2000年の東京都環境局自然環境部の多摩地域谷戸の保全に関する調査によると、尾根線で囲まれた谷のうち標高差が300m以内の谷底部を有する地形を谷戸と定義したところ、多摩地域では該当箇所が404あった。

丘陵別 狭山 霞(加) 草花・五日市 加住 八王子・多摩 合計
谷戸数  33    47      45    83      196    404

このうち、谷底部の50%以上で水田耕作をしている谷戸が12ヶ所と非常に少ない。谷底部の20%以上が湿地で水田耕作を放棄している谷戸が117ヶ所。一部でも地形が改変された谷戸が308ヶ所ある。1987年以降は48ヶ所が消滅して住宅地や道路、残土処分場となった。

一方、都市計画公園・緑地等何らかの緑地保全制度によって守られている谷戸が191ヶ所あり、市民が管理を行なっている谷戸が29ヶ所。現在も開発計画のある谷戸が56ヶ所あり、その殆んどが公園・緑地等に指定されていない。

自然環境の保全を進めるため、東京都は、自然保護条例に基づく里山保全地域(都内 初 、第1号)にあきる野市の横沢入地区(約67ha)を指定した。                                                     2005年6月8日付都報道資料よる。

蔓おおふ 横沢入や 稲の露 幹治