2005年9月 合鴨農法のルーツ

畑と異なり田んぼは水を湛えているので比較的に雑草が生え難い。水稲作には、潅水によって水に溶けて自然から供給される養分がある。また、根から分泌されるいや(・・)地(・)物質等は排水によって流れだすので、連作障害を起こし難く、単位面積当りの収穫量も多い。
 
水田耕作農家で、水管理の他に手のかかる作業は、田起し・代掻き・田植え・除草・稲刈り等である。そのうち、炎天下の田草取りは昔から稲作の中で最も苦しい労働の一つであった。除草以外の作業は殆ど機械化され人手が昔ほどかからなくて済むようになった。

戦後、病虫害と雑草を併せて防除・駆除するために大量の薬剤散布が行われた。これによって病害虫の発生や雑草の繁茂は抑えられたが、田んぼに生息していた身近なタニシ、ドジョウ、ナマズ、フナ、トンボ等の生物がいなくなり田畑は沈黙してしまった。農薬散布中に薬剤を吸い込んだ農民から薬害が起きた。薬剤の連用で稲作した米を長い間食べ続けると、体に農薬が残留し健康が損なわれる心配があるという。
有吉佐和子は小説「複合汚染」を1974年に出版して農薬による薬害を告発した。その後、薬剤の種類や散布量にある程度規制がされてきたが、それでも農薬使用量は世界一といわれている。

無農薬の除草対策には様々な方法が考られてきた。この合鴨による無農薬有機農法はその対策の一つである。合鴨農法のことを調べているうちに、この農法のルーツが私の故郷の砺波平野の農家であることが分かった。この農法の成立は1985年頃とのことである。ここから北九州の農家に伝わり、そこから現在全国に広まっている。しかし、新聞やテレビで報道されている割にはまだまだ普及が進んでいない。

たまたま今年の8月末に故郷に帰る用事があり、これを実践している農家を訪ねた。この農家の当主は発電所の技師をしていて、水田が約1haの小規模米作兼業農家である。4枚の田んぼの畦には合鴨が逃げないように高さ約1m位の網が張られてあった。合鴨が田にいる期間は約3ケ月間とのこと。既に合鴨は田から引き上げられ鳥小屋に飼われていた。今困っている問題は合鴨が烏に喰われることで、天蚕糸(テグス)を1m間隔に張っても潜り抜けてしまう。また、ここは平野の真ん中であるが、夜のうちにイタチがやってきて被害を受けたことがあるという。今年も田んぼに入れた合鴨の半分しか生き残ることができなかった。

引き上げられた合鴨を処分はしないで、そのまま飼い、約5年位使うとのこと。これが、この人の考え方で人間と生物が一体となった自然農法を実践している。訪ねてきた小学生から「農業とは何ですか」との問いに、「楽しいです。つらいです。うれしいです。悲しいです。」と答えている。

円陣の 鴨のしづまる 星月夜 幹治