2009年1月北前船

十三の砂山
1 十三の砂山ナーヤーエー 米ならよかろナー
  西の弁財衆にゃエ ただ積ましょ ただ積ましょ
  弁財衆にゃナーヤーエー 弁財衆にゃ西のナー
  西の弁財衆にゃエ ただ積ましょ ただ積ましょ

2 さあさあ出た出たナーヤーエー 唐土船よナー
  波にゆられてエ そよそよと そよそよと
  ゆられてナーヤーエー ゆられて波にナー
  波にゆられてエ そよそよと そよそよと

3 つつじ椿はナーヤーエー 山でこそ咲くがナー
  今は十三船のエ ともに咲く ともに咲く
  十三船のナーヤーエー 十三船の今はナー
  今は十三船のエ ともに咲く ともに咲く

青森民謡「十三の砂山」である。この十三は「とさ」と呼ぶ。「とも:船尾・艫」は「おもて:船首・舳(へさき)」と共に日本古来の海事用語である。帆船では船尾から船首に向けて真正面に吹く風を一番喜ぶ。これを「まとも」という。また、昔の船には一般船員が寝起きする大部屋が船首にあり、高級船員の個室が船尾にあった。この「ともに咲く」の意味は、船員の最終目標である「ともの人」を暗喩しているのだろうか。

北前船は弁財船、船頭衆は弁財衆とも呼ばれていた。この弁財衆は、もとは「弁済使」からきているという。平安時代以後、弁済使は国衙領や一部荘園などに設けられた役職で、貢納された租米を計算し処理する役で、九州地方に多かったようだ。また、弁財船が入ると七浦まで潤うといわれ、湊の人々は弁財船が入港するのを待ち望んでいた。

当時の農民は、米を作っても大半が年貢として取立てられ、米は正月や祝い事の目出度い時にしかめったに口にすることができないある貴重な食べ物だった。米には「神」宿っていると信じられており、米に対する人々の羨望にも似た切ない思いが、砂山が米であったなら弁財船は無料で運んでくれるだろう、と囃したてたことが民謡になって伝えられた。哀調を帯びた民謡である。
十三の砂山まつり:http://tosa-sunayama.sub.jp/uta.htmの一部、他を参考にした。

観客は目の前にいる。ここで、マイクなしの地声でわたくしが唄っている。4列に並んだ中ほど席の年輩のお年よりから、両手を広げて手拍子がでる。観客のほとんどはわたくしの母親より少し年下の八十前後のご婦人方だ。今生きていたら98歳になるが、それに近い腰の曲がったお方もいる。唄っているとは母親の顔とだぶってくる。次第にゆっくりとした手拍子は広がってゆく。三味線に尺八の音がのり、それに声が重なりゆったりとした曲がながれる。わたくしの民謡は入門から今年で3年目。この曲は今回を加えると、今年3回唄うことになる。事前に、先輩から大声でなく声を絞って唄えと指導されたが、どうしても観客を前にすると緊張が走り、声が硬くなる。

ここは八王子市内のある小さな町内会会館の一室。町内の民謡愛好者のクラブが主催する年忘れ民謡おさらい会である。会員は十五六人位か。三味線が2人、尺八が3人。年に一度の発表会だ。わたくしたち4人は別の民謡クラブに属し、今日は友情出演。参加者は全員で20名あまり。ささやかなお楽しみ会だ。一般の公演と違って、ここでは参加者全員が民謡を唄う。中には二人で唄う方もいる。立ち居に不自由な人は客席に座ったままで唄う。ときどき声が聞こえなくなると周りの人がそっと声を添える。

手拍子の しだいにあがる 年忘れ 幹治


北前船とは
1 深浦 10 脇野沢
2 鰺ヶ沢 11 佐井
3 十三湊 12 大間
4 三厩 13 大畑
5 蟹田 14 箱館
6 青森 15 松前
7 野辺地 16 上ノ国
8 田名部 17 江差
9 川内 18 熊石
 


江戸時代、主な流通として著名なのが、北前船による海運です。北前船は北国や東北、蝦夷地と瀬戸内海や大坂を結んだ廻船をいいます。そのルートは大坂から瀬戸内海を経て日本海を回り、蝦夷地へと向かうものでした。
 北前船以前も日本海ルートの流通は、北国船によって行われていました。北国船がどんな姿をしていたかは、青森県深浦の円覚寺や、新潟県能生の白山神社に奉納された絵馬によって知ることができます。北国船に積まれた「蝦夷地」や「陸奥」の物産は、越前敦賀で陸揚げされ、琵琶湖水運を経て京・大坂へ運ばれました。寛文十二年(1672)、河村瑞賢によって、蝦夷地と大坂を直行する西回り航路が開拓されました。北前船は、北国船に較べて大きく、帆柱の構造も一団と進化して、より遠くへの航海が可能になったのです。

北前船は、春秋の二回運行され、上り荷は主に米や昆布、ニシンなどの海産物で、下り荷は木綿や古着、塩などが一般的で、途中の寄港地で様々な商品を売買していました。

津軽・下北での北前船
北前船の津軽地方における寄港地は、大間越、深浦、鰺ヶ沢、十三湊、権現崎、竜飛崎、蟹田、青森です。いずれの地も越中・能登などの北陸商人、近江商人との関わりが深く、特に青森は越後・越前・近江などから移住民を募って、港町として建設されています。
 青森が建設される以前は、羽州街道と松前街道が合流する油川が湊として繁栄していました。弘前藩は、青森港では塩タラ、干鰯(ほしか)、煎海鼠(いりこ)、干鮑などの海産物を、鰺ヶ沢では蔵米を、また蟹田港ではヒバ材を積み出していました。
 一方で、下北での寄港地には、大間、佐井、牛滝、脇野沢、川内、大畑、田名部、野辺地があります。この中で特に大間は蝦夷地に最も近い港で、能登や若狭、佐渡などの北陸、淡路出身の回船問屋も多く存在しました。
 佐井では、江戸初期から大坂へヒバ材が運ばれるようになり、また、飛騨で木材が入手不可能となった加賀藩が下北に着目するようになりました。しかし宝暦十年(1760)に盛岡藩が下北半島の檜山を直営にしたことにより、山仕事を失った人たちが松前へ移住するようになりました。他に佐井には山丹(黒竜江流域)からサハリン、アイヌを介して松前から本州にもたらされた交易品である、蝦夷錦でも有名です。
 他に大畑はヒバの大集積地にして東蝦夷地航路の分岐点、田名部は下北半島一帯の煎海鼠や干鮑の集積地、また野辺地は銅の積み出しを行うなど、大きな役割を果たしていました。

安藤氏と北方の関わり
1 松前
2 安渡浦
3 田名部
4 田屋
5 十三湊
6 鰺ヶ沢
7 深浦
8 門前浦
9 秋田湊



安藤氏は他の氏族と異なり、自らを蝦夷につながる系譜を残しています。現在、学界では大きく四つに分類されています。しかし安藤氏の本質を探る上では、共通して三つのキーワードが指摘されています。まず第一に「安日」、第二に「高丸」、そして第三が「安倍氏」です。「安日」は中世に鬼王と呼ばれ、蝦夷の祖先として意識されていました。「高丸」は悪路王とも呼ばれ、坂上田村麻呂に対する抵抗伝説上の人物で、安藤氏の祖先として位置づけられるようになったのが、鎌倉時代とされています。「安倍氏」とのつながりについては、北奥の支配者として、北方・蝦夷支配のよりどころとするためであると考えられています。

安藤氏は、近年、「山の民」「海の民」として、広範囲に活躍していたことが明らかにされています。
 安藤氏は、陸奥国一の宮で海の民の守護神である塩竃神社の社人となっていたこと、また塩竃神社の神領が安藤氏と関わりの深いとされる外浜に存在していたこと、などから、「海の民」としての存在が大きかったことを示しています。
 また、鎌倉末期の「安藤の大乱」鎮圧について記された史料によると、「津軽山賊誅伐事」とあることから、「山の民」としての安藤氏の存在が知られています。
 こうした安藤氏の存在は、後に述べる「蝦夷管領」としての地位を獲得し、領主的な活躍が可能となったと考えられています。
 安藤氏が支配していた領域については、鎌倉時代の史料から、おおよそ津軽半島のほぼ全域・下北半島一帯・外浜・宇曽利・中浜・西浜を含むと推定されています。これら支配領域は、鎌倉幕府執権北条氏の被官としてのものです。北条氏は安藤氏を被官化することで、海上交易の利を獲得でき、また安藤氏としても発展上の有利さを目論んだものと考えられています。

青函地域大辞典:http://www.net.pref.aomori.jp/seikan_db/seikan_db.htmlより抜粋


この会で唄ったもう一曲が下津井節である。岡山県倉敷市、児島半島の西南端にある港を中心に唄われたお座敷唄。下津井港は昔北前船の寄航地としても栄えた。

下津井節
一 下津井 港はヨー 入りよて出よてヨー
   まとも 巻きよて まぎりよてヨー
   (トコハイ トノエー ナノエー ソレソレー)
二 下津井 港にヨー 錨を入れりゃヨー
   街の 行灯の 灯が招くヨー
   (繰り返し)
三 ・追手 吹こうとヨー 下津井入りやヨー
   ままよ 浮名が 巽風ヨー 
   (繰り返し)
四 ・船が 着く着くヨー 下津井港ヨー
   三十 五挺ろの 御座船ヨー
   (繰り返し)

帆柱起こし音頭は、北前船の寄港地であった富山県伏木港に伝わる民謡である。伏木は、天平の頃から越中国府が置かれ、政治・経済の中心で海の交易も盛んだった。3年前に民謡を始めた、唄い初めのふるさとの民謡である。

帆柱起し音頭
一 (ソラ イエーエ)親方さんの(ヤーレ ソリャ ヤートコセーヨイヤナー)
  親方さんの金釣る竿じゃ(ヨーイトナー ソーランアリャエーノアリャアリャ
  ドッコイショ ヨーイトコ ヨーイトコナー
二 (ソラ イエーエ)島々弁天
  (繰り返し一)
  島々弁天端々岬
  (繰り返し二)
三 (ソラ イエーエ)三に讃岐の
  (繰り返し一)
  三に讃岐の金毘羅様よ
  (繰り返し二)
四 (ソラ イエーエ)九つ熊野の
  (繰り返し一)
  九つ熊野の権現様よ
  (繰り返し二)