2009年7月アジサイ

今年も梅雨の季節が巡ってきた。曇りの日が3日前後続くと雨の日が1日から2日続く。気象庁HPで検索すると、今年の関東の梅雨入りは平年より2日遅れ、昨年より13日遅れの6月10日という。晴れになると気分が外向きになり、出歩くことを考えたりする。なにかまとまった仕事をしようとする時は午前中に限る。午後からでは、気分が散漫になり、まとまったことができない。朝から雨が降って出掛けないと決め、小暗い室内で気ままな時間が持てるこの時期が殊のほか好きだ。

この頃になると、家の庭のアジサイが次々に咲きだす。妻は咲きごろの形のよい鉢を選んで玄関の階段に移す。家の前を通りかかった人が、時たま花の鉢をみて声をかけてくることがある。また、近くを散歩すると家々の垣根やお寺の境内に植わっているアジサイが生彩を放ってくるようになる。アジサイには水蒸気を含んだ梅雨空が似合う。アジサイの原種は日本の山野に自生いているヤマアジサイといわれ、日本で栽培され園芸種が沢山つくられた。西洋の渡ったものは改良されて西洋アジサイがうまれた。

6月15日(月)、デジカメ撮影会で高幡不動のアジサイを撮りに行く。境内の堂塔の周辺や裏山には約7,500株のアジサイが植えられてあるという。山門左手の弁天池周辺は、いまが盛りとアジサイの株立ちがふくらんでいる。日が当たる場所のアジサイは盛りを迎えているが、裏山の入ると日差しが弱いアジサイは花つきがやや遅れるようだ。 

アジサイと建物の取り合わせの構図が面白い。今日は平日にもかかわらず家族連れをみかける。ここでは修行僧たちが行き交う姿をよくみる。薄緑色の袈裟の僧とあとに続く作務衣の人がかざす朱傘に橙色の袈裟の住職一行が通るのに行き合わせた。人物では、小さな子供連れや和服を着た女性もアジサイの取り合わせで絵になる素材だ。

デジカメで撮影する場合、どんな絵にするか構図を決めることがまず必要だ。被写体に近づいたり、離れたり、縦にしたり、横にしたり、立ったり、座ったりして構図を決める。デジカメは自動で簡単に写真を撮ることができるが、本格的に撮影をしようとすれば、絞り優先(プラスマイナス補正を含む)、フラッシュ接断、シャッター速度優先、ISO感度、色補正するためのホワイトバランスなどの設定が必要になる。人間は目に入る光を脳が自動制御するが、デジカメではレンズに入る光の量や色を適正に補正してやる必要がある。

白い手まりのようなアジサイの株立ちが薄日から曇りからに移るとき、それまでの手まりの純白が一つひとつに淡い影を落として浮きあがってくる。アジサイと水辺、あるいは和服の女性とアジサイなどは多くの日本画の画材になっている。水蒸気をたっぷり含んだ柔らかい空気がアジサイをつつんでいる風情は懐かしい日本の風景だ。日本の風土が生んだ家屋の明かりについて、谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」では陰翳を通して日本人の内面性や精神性を解明している。

白あじさゐ ひかげるたびに またたけり 幹治


日本家の屋根を傘とすれば、西洋のそれは帽子でしかない。しかも鳥打帽子のように出来るだけ鍔(つば)を小さくし、日光の直射を近々と軒端に受ける。けだし日本家の屋根の庇の長いのは、気候風土や、建築材料や、その他いろいろの関係があるのであろう。たとえば煉瓦やガラスやセメントのようなものを使わないところから、横なぐりの風雨を防ぐために庇を深くする必要があったであろうし、日本人とて暗い部屋よりは明るい部屋を便利としたに違いないが、是非なくあゝなったのでもあろう。が、美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことがを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがて美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。事実、日本座敷の美は全く陰翳の濃淡の依って生まれているので、それ以外の何ものでもない。(26頁)

谷崎潤一郎 陰翳礼賛 中公文庫