2010年7月アジサイ

6月21日(月)曇り、昨年に続き今回も高幡不動尊にてアジサイのデジカメ撮影会、午前9時京王高幡不動駅に集合、歩いて数分の高幡不動尊の仁王門に向かう。ここで参加者全員が集合した。作務衣を着た若僧や一輪車を押す作業員が境内の大通りを行き来する。お土産屋の屋台もそれほど多く出ていない。今日は平日。早朝のせいかそれほど人出は多くない。

指導者から一通りの説明を聞いたのち、初心者は指導者の周りに、経験者は、自由に歩き、人物を入れ背景にアジサイを配した撮影をすることになった。構図が写真の命と指導者からいつも聞かされているが自分で構図を探すとなるとこれが難しい。絵になる構図とは、そこに何か一点人目を惹くものがなければならない。そこで、はじめは昨年指導者と歩いたポイントでの撮影を行う。

人物を入れた撮影をするにはどうするか。歩いている人を正面から撮ると不快な顔をされることがある。相手が意識しないように自然に撮ることがスナップ写真に必要と聞いている。指導者から受けた人物を撮るときの注意を列記すると次のようになる。
・正面から撮らない。(下手すると肖像権に侵害だといわれることがある)
・横顔や後姿がよい。(出品した場合に肖像権の問題がおきないように)
・若い男女や和服の女性は絵になる。
・明るく健康的な雰囲気がでるものがよい。
・親子連れやご老人には了解を得て撮る。
・スナップにはそのシーズンの植物を配する。(今回の主題はアジサイ)
・体の不自由な人や車椅子の方は撮らない。
・中高年の男性は絵にならないので撮らない。

10時前になると近くの幼稚園の園児が行列で境内にやってくる。子供はよい写真を撮れると指導者から聞いていたので、園児の行列の後につく。園児たちは無邪気に手をつないだり周りをキョロキョロしている。通りすがりの参拝者に向かい、口々に「おはようございます」と声をかける。おばさん達は喜んであいさつを返す。園児たちはまったく撮影者のカメラを意識していない。

園児たちの後についてなにげなく撮影する。こどもは天使だというが、まったくその通り。次々に表情を変える。すかさずシャッターを切る。この場合、背景の構図が大事だ。背景にアジサイが入っていなくてならない。そうなるとよい構図の場所に待ち構えていて、そこを通り過ぎる人物を撮ることも必要だ。構図には不要な工作物や人の手などが入ってはいけない。失敗を恐れず、沢山撮ってその中から選ぶことが必要だ。自分の作品はどうしても自分に甘くなるので他の人に見てもらうことが必要だ。俳句の場合も、上達のコツは多作多捨といわれる。

園児たちは高幡城址の先の馬場あとを目指し四季の道を通って登ってゆく。城址は小広場になっているが雑木に囲まれているため眺望がきかない。ここは付近の幼稚園の朝の散歩コースになっているようだ。森に覆われた寺域では園児と参拝者がいつも出会うことができる。ここは自然と人とが調和した霊場ということができる。

園児らの 列のはじける 濃あじさゐ 幹治


山門左脇のアジサイの植え込み中にややうつむき加減の大観音像が立っている。その前に御詠歌を詠っている中年の男性1人と女性2人が立っている。ここ高幡不動尊は真言宗智山派別格本山金剛寺である。寺の沿革をみると、平安時代初期に慈覚大師円仁(794~864)が清和天皇の勅願によって当地を東関鎮護の霊場と定めて山中に不動堂を建立し、不動明王をご安置したのに始まるという。

宗祖は弘法大師空海(774~832)である。空海は遣唐使船で当時の都長安に渡り密教の師を求めて諸寺を巡り、恵果阿闍梨(けいかあじゃり)に出会って密教の奥義を受け、最澄とともに日本仏教の開祖となった。
御詠歌の起源は花山法王(968~1008)の西国巡礼にあるといわれ、西国三十三観音霊場巡りの際に信者によって謡われた。御詠歌は五・七・五・七・七の和歌の形式をとり仏教信仰を詠ったものである。アジサイの中から御詠歌が流れてくると、また一段と趣がある。

大日如来は大毘盧遮那成仏神変加持経(大日経)の教主であり、大日経の説く胎蔵曼荼羅中台八葉院九尊の主である。また金剛頂経の説く金剛界曼荼羅五智如来の中心。空海の開いた真言宗において、究極的には修行者自身と一体化すべきものとして最も重要な仏陀である。不動明王は、密教の根本尊である大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであると見なされている。
『大毘盧遮那成仏神変加持経』、別名『毘盧遮那経』(びるしゃなきょう)、『大日経』(だいにちきょう)は、7-8世紀頃成立したと考えられている密教経典である。
密教(みっきょう)とは、秘密仏教(ひみつぶっきょう)の略称であるともされ、「秘密の教え」を意味する。密教徒の用語では「金剛乗」ともいう。これは、大乗、小乗と対比した表現である。あるいは真言乗とも言う。
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