2011年7月花菖蒲

6月20日(月)、町田市薬師池公園のデジカメ撮影会に参加。八王子からは電車・バスを乗り継ぐと時間がかかるので、総勢17名が4台の車に分乗して行くことになった。八王子と現地間の走行距離は約40km弱。午前10時過ぎに全車現地に無事到着。

薬師池公園は、以前に俳句の吟行会で何度も行ったことがある。俳句の結社から離れて約10年になるので、今回の薬師池はその時以来になるだろうか。わたくしの俳句の師石田勝彦が健在な頃、町田市の俳句教室に春と秋に吟行会があった。その時には、決まって町田市の薬師が池公園か横浜市の寺家ふるさと村が選ばれた。吟行会は午前10時頃にみんなが現地に集まった。それから約2時間、三々五々現地を歩きながら当季雑詠で句をつくる。

石田先生との出会いは、自分から先生宅を訪ねたことから始まった。40台後半を過ぎた頃、自分のこころの内から何か残るものをつくりたいという欲求が湧いてきた。それは何でもよかった。まず短歌と俳句を見比べてみると短歌は5・7・5・7・7の31文字に対し5・7・5の17文字。短い方が取り付く易いかなと勝手に考えてみた。そこで俳句総合誌で調べると俳句文学館というものがあり、そこへ行くと全国の結社誌が見られることが分かった。八王子には「泉」とい俳誌があり、その代表が石田勝彦という人があることが分かった。早速先生に電話をして訪ねることになった。それは今から約23年前のことだった。

句に対する先生の凄さは俳句への真摯な取り組み方だった。月に15回以上も句会に出られ、他の結社誌なども読まれ、連日沢山の句に接しられた。身近に見ていて、言葉の斡旋について間髪いれず瞬時に的確な語を選び出される。わたくしなどは、気になる句を推敲する場合、何日もかかることがある。それが先生の場合には即座に決まる。最も先生の句会で出句されたものが総合誌ではつくり直された例もある。ただ、直される割合が他の俳人に比べて少なかったのではないかと思う。

予め句会への出句は5句ないし7句と決められている。そのため現地で10句以上をつくらなければならない。一人歩いても句はなかなかまとまらないが、句会では締切時間が決まっているため集中するのでなんとか句をまとめることになる。せっぱ詰まると思わぬ言葉が浮かんできて秀句が生まれることがある。
自分の句はわからないが、他人の句はよく分かる。自分の句は冷静にみられなれないが、他人の句は客観的にみることができるからだろう。文芸は全て雑誌などで発表され、他人の目で共感を得るものが後の世に残る。

芭蕉(1644-1694)の名言に次のようなものがある。
俳諧に古人なし。只、後世の人を恐る。

誠に、先生は名利に淡白な方だった。俳壇の乞食になるな。などと弟子を諌め、自らも俳壇に売り込むようなことはなさらなかった。
先生の命日が来月に迫ってきた。今年もまた墓参し、先生に語りかけたいと思う。俳句を始めから今年で約23年になる。初めの13年は結社にいて、月に約4回位各種の句会に参加していた。約10年前より結社から離れたため結社誌への投稿もなくなり、今は月に一度自分のホームページに1句発表しているにすぎない。俳句から得たものは年々巡ってくる季節に対する季感である。

約10年以上前に吟行したところを、今デジカメを持って撮影している。俳句つくりとデジカメ撮影は、手段は異なっても季節を感じ、そこから何か切り取ることにおいて、それぞれ通底するものがある。創作はするということは、なにか足跡を残すということ。それがたまたま人の目に留まって共感を得ることができれば、それはそれで生きる喜びとなる。

水車小屋脇の菖蒲田に絣に菅笠を被った女性が入ってきた。赤い襷をして凛々しく花菖蒲の花殻を摘み始めた。たちまち素人カメラマンが集まってきてカメラのシャッターを切る。その女性は、周りの動きに一切気にすることなく黙々と作業を進めてゆく。さまざまな花菖蒲の色合いと、菖蒲田に入って作業している女性の立姿が一幅の絵のように美しい。

菅笠の かきわけてゆく 花菖蒲 幹治