2012年2月 龍年を迎えて

今年の誕生日がくると、わたくしは満72歳になる。還暦からはや一回りが過ぎた。6回目の龍年を迎えることになる。今から72年前の1940年は太平洋戦争が始まる1年前だった。歴史的時間を振り返ってみると、1937年、廬溝橋事件が勃発し、日本が中国と戦争する支那事変(日中戦争)に突入する導火線となった。

第二次世界大戦(1939~1945)が連合国(英、米、仏、ソ連、中華他)と枢軸国(独、伊、日他)間で戦われた。1945年終戦前の8月1日~2日、ふるさとの福光橋から、夜東空が真っ赤となった富山大空襲をみた。この記憶がわたくしの来し方の原点となっている。そして、戦後の翌年、1946年学校制度による最初の小学一年生となった。

このようにみるとわたくしの幼年時代は正に戦争の時代だった。それから戦後復興期、高度成長期、約20年間続く低成長期、そして金融危機、世界同時不況、財政危機へと資本主義世界経済が行き詰まりに、昨年の東日本大震災、福島原発事故が重なってきている。前戦争による旧体制の崩壊による価値観の激変があり、現在もまた世界を支配している旧体制の崩落による新時代への価値観の変革が迫られている。今や、生涯に二度の変革期を経験しつつある。

1月20日、アーカイブス ハイビジョン特集「立川談志 71歳の反逆児」をみる。

“天才落語家”・立川談志、71歳。若くして名声を確立し、各界を股(また)にかけてきた男が、老いと病に苦悩する中で闘っている。“敵”は、落語を誰よりも愛し、極めてきた自分自身。体は衰え、芸が理想から離れていく恐怖。だが、暴れ続けてきた人生を裏切るような枯れた老境になどしたくはない。落語の神髄を世に残したいとの強烈な自負・使命感を胸に、自らを叱咤(しった)し、反逆者であり続けようとする日々に密着した。
NHKアーカイブスの解説より抜粋

立川談志(1936~2011)は、わたくしより4歳年上で、ほぼ同年代の人物である。最近、落語を聞くようになり、談志の落語の「芝浜」をみる機会があった。これまで見てき古典落語とは全く気質の違う、凄まじい談志の全身全霊そのものものが伝わってくるひとり芝居というものだった。江戸っ子が持っていた「人情の機微、粋」を表現した。他人に真似のできない名人の芸とはこうゆうものかと感服した。談志に対する毀誉褒貶は両極端にある。しかし、人格と芸とは別物といえなくもない。

芭蕉は「昨日の我に飽くべし」といった。これでよいというものはない。芸には最高というものはない。今日の芸に満足せず、明日の境地を目指す。芸術の高みは全てに通じる。談志は古典を踏襲するままの今日の落語を破壊し、明日に生きる古典落語を打建てようとした。大衆は天才といわれた他人のまねができない破壊的な談志の芸を、自分の目で確かめるために演芸場に足を運んできた。

You Tubeで立川談志を検索していると小室直樹(1932-2010)との対談が載っていた。一般の学者と違い、独創的な視点で過去・現在・未来を考察して評論活動をされている。以下はWebsite上で調べた内容は次の通り。

略歴
東京生まれ。京都大学理学部数学科、大阪大学大学院経済学研究科を経て、フルブライト留学生としてアメリカに渡る。ミシンガン大学大学院で計量経済学、ハーバード大学大学院で心理学と社会学、マサチューセッツ工科大学大学院で理論経済学を学ぶ。

帰国後、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程を修了。東京大学法学博士。著作多数。
1980年に発表した『ソビエト帝国の崩壊』において、ソ連崩壊を10年以上も前に的確に予言したことは有名。これまで知らなかった経済学者である。経済学に止まらず学問の領域を超えて学際的に活躍された方のようである。
小室直樹(1932-2010)の直弟子には宮台真司、橋爪大三郎、副島隆彦が挙げられる。氏の思想の一端が垣間見える神保哲生、宮台真司、橋爪大三郎の対談の抜粋を転載する。

巨星・小室直樹が残した民主主義への理解と伝播
希代の学者、小室直樹がこの世を去った。その斬新な思考や創造性から、時に奇人とも評されたが、彼がアカデミズムの世界に残した功績は、計り知れない。社会学、経済学、宗教学、法学、哲学など、あらゆる学問を用いた彼の論理は天才の名にふさわしいものだった。旧ソ連の崩壊、ロッキード事件における検察批判と田中角栄の擁護、そして、真の意味での民主主義への理解など、評論家、学者という肩書にとどまらない。

「システム」は、小室先生の仕事を考える上で、最初に浮かんできた言葉です。簡単にいうと「たくさんの要因が複雑に絡み合って、相互作用している状態」のこと。これが社会の基本です。つまり、社会は、単純に読み解けるものではないんです。小室先生はこの「システム」をベースに仕事をされました。これは、なんの反対かといえば、マルクス主義です。マルクス主義は突きつめれば、「階級闘争」「プロレタリアと資本家」で社会のすべてがわかるというのですから、小室先生の考え方は、これに反対する側面があった。小室先生は、すべての要因を考慮しなければ現実はとらえられない、と主張したのです。

一方、「ディシプリン」は、システムがとらえどころないときに、ある規律に従って考え方を単純化することです。例えば経済学だったらお金だけ、法律学だったら法律だけ、というように、要因を限定してシンプルなモデルを作る。そうすると、良い結論が出てくる場合があります。

普通の学者はこれで満足してしまい、誰かが理論の不備を指摘すると「現実は複雑だから」とお茶を濁すのですが、小室先生はそうではなかった。ある学問で追いかけられない現象があれば、別の学問を手にして問題に立ち向かう。法律、宗教、経済、統計学、心理学、数学......など、とにかくこれまで人間が考え出したツールをなんでも身につけて、とことん問題を追い詰める。「ディシプリン」を信頼しているのですが、その限界もわかっていて、境界横断をしていくのです。これは普通の学者にしてみれば「縄張り荒らし」「道場破り」にほかならない。でも、これほど正しい学問のやり方はない。境界横断が引き金になり、小室先生は日本でさまざまな問題を起こしましたが、それをトラブルにしてしまった日本が悪い、学者が悪いと、私は考えます。
日刊サイゾーhttp://www.cyzo.com/2010/11/post_5950.html

現在、時代の変節点を迎えている。現在の社会現象を分析する上で、縦割りの学問だけでは説明ができない問題が山積している。この節目にあたり、小室直樹が開拓した学際的なものごとの捉え方も参考になる。

たたみくる 地震におどろく 寒の内 幹治