2012年4月 百草園

2012年3月26日午前9時半、百草園駅にデジカメ会員が集まる。天気快晴。今日は今年初めての撮影会だ。駅をでて車道を渡り、住宅街の小道を抜けて左に曲がると百草園草への急坂にでる。かなり急傾斜だ。日ごろの運動不足の体にはややきつく息切れがする。会員の列が先頭から最後尾まで大分のびた。駅をでて約10分位かかったろうか。ようやく百草園入口にたどりつく。道に面した正門は、杉皮葺屋根の瀟洒な庭門のつくりになっている。門の奥には真っ直ぐな石段が望まれる。
百草園に関する記事を参考資料から抜粋して次に掲載する。

百草園の歴史は古く、享保年間に松連寺の庭園としてつくられ、文化・文政のころから茶会や句会などで賑わっていた。その後、明治初期に廃寺となり、地元出身の生糸商人が所有。
若山牧水は、明治、大正から昭和にかけて全国を旅し、生涯に約8,700首の短歌を詠み、全国に259基の歌碑が建てられ、今なお広く国民的支持を得て親しまれている。庭園には昭和60年生誕百年を記念して建てられた歌碑がある。

牧水は武蔵野の自然を愛し、学生のころからしばしば百草園を訪れている。殊に明治41年春、恋人の園田小枝子とここを訪れた折の歌は数多く、それらが歌集『独り歌へる』の中に収められている。石段途中から左に曲がると小広場にでる。その脇に牧水生誕百年記念の歌碑が立っている。牧水長男歌人旅人は歌集『独り歌へる』から次の一首を選んで揮毫した。

小鳥より さらに身かろく うつくしく かなしく春の 木の間ゆく君

松連庵の左側に、第2歌集『独り歌へる』に「六七月の頃を武蔵多摩川の畔なる百草山に送りぬ」と詞書きがあり、四十三首中の次の三首の牧水歌碑がある。

山の雨 しばしば軒の 椎の樹に ふり来てながき 夜の灯かな
摘みてはすて 摘みてはすて 野のはなの 我等があとに とほく続きぬ
拾ひつる うす赤らみし 梅の実に 木の間ゆきつつ 歯をあてにけり

百草園は多摩丘陵の一角を占める小規模な庭園だ。東に向いて開いた園はやや急な勾配になって広がり、下段にはあずまや、中腹には茅葺蕎麦屋の松連庵、茶室の山楽庵、その奥に心字池などを配している。園内に植えられてある梅は約50種約500本という。松連庵裏山には梅林が広がる。その中の山道を登ると見晴台にでる。ここから東の方向にスカイツリーがビルデングの上に起立しているのが望まれる。

園内には四季折々の草花が植えられている。老若男女や家族連れが手軽に親しめる散策地だ。庭園の花カレンダーによるとそれぞれの花期は次のようになっている。

2月 梅、福寿草、寒咲アヤメ、椿。
3月 遅咲き梅、白木蓮、ボケ、ムサシアブミ、サンシュユ
4月 ミツバツツジ、カタクリ、シャクヤク、日本桜草、ツツジ

今日の梅は8分咲き位だろうか。つぼみはまだ多く残っており、花は咲ききっていない。また咲き終わった蝋梅はまだは花びらをつけており、福寿草はほとんど花を開いている。今年の冬は、例年になく寒かった。春になっても日中の気温は12度位までしか上がらない。園内に入って花の咲き具合をみると、この花カレンダーから総体的に最大1月位遅れているようだ。

いしだんの まっすぐとおる 梅の園 幹治