2013年3月 米国標準TPPを問う

TPP日米交渉
2013年2月22日、ホワイトハウスで安倍晋三首相はオバマ米大統領と初めての首脳会談を行った。会談後の記者会見で、環太平洋連携協定(TPP)交渉に関して「聖域なき関税撤廃が前提でないことが明確になった」と述べ、「なるべく早い段階で決断したい」とTPP交渉参加に踏み出す考えを明言した。

同日首脳会談後に発表された共同声明では、冒頭に「2011年11月2日にTPP首脳によって表明された「全ての物品を対象とされる」とし、『TPPの輪郭(アウトライン)』おいて示された包括的で高い水準の協定を達成していくことになることを確認する」とした。後段では「日本には一定の農産品、米国には一定の工業製品というように両国ともに二国環貿易上のセンシティビティが存在することを認識しつつ、両国政府は、最終的な結果は交渉に中で決まってゆくものであることから」と明記している。

記者会見の「聖域なき関税撤廃が前提でないことが明確になった」との安倍首相発言は、この共同声明の内容から到底引き出すことはできない。TPP交渉での前提条件は依然としてなんら変わっていない。それにも拘わらず、記者会見での国内向けには甘い認識を表明している。国の内と外を使い分けるなどの小細工は国際的に全く通用しない。今後、米国は共同声明の文言通りに臨んでくるだろう。

このようなやり方は古い体質の自民党政権に前科がある。日米間交渉では国民に知らせないで米国と取り結んだ屈辱的な密約というものが存在し、それが今日まで実行に移されてきた。これらは国民の利益を守っていないことは明らかだ。

日米間交渉で、2009年9月16日に鳩山由紀夫内閣で外務大臣となった岡田克也は、密約について調査し11月末を目途に公開するよう外務省に命令した。ここで、調査の対象となった密約は4項目であり、そのうち2つが日米間の核持ち込みに関するものである。

1. 1960年1月の安保条約改定時の、核持ち込みに関する「密約」
2. 同じく、朝鮮半島有事の際の戦闘作戦行動に関する「密約」
3. 1972年の沖縄返還時の、有事の際の核持ち込みな関する「密約」
4. 同じく、沖縄返還時の原状回復補償費の肩代わりに関する「密約」

この調査命令に関し、同年9月18日、来日していたアメリカ合衆国東アジア・太平洋担当国務次官補のカート・キャンベルは、持込みに関する密約は事実存在し「非核三原則」は有名無実である旨言明した。
日米核持ち込み問題 ウイキペディアフリー百科事典

昨年総選挙の選挙公約6項目中TPP交渉の判断基準で国民の利益を守る立場から、「政府は『聖域なき関税撤廃』を前提とする限り、交渉参加に反対する」と自民党は選挙公約した。現在、TPP交渉に入るか否かについて国論は二分している。国民生活に直結するこの問題は政権の専権事項でないことは明らかである。安倍首相は、真に国民を利益守る覚悟が定まらないあいまいな態度で交渉をするのではなく、断固として国益を損なうTPP交渉を拒否すべきだった。

国民経済における「有効需要の原理」
国民経済は政府、企業、家計の三つの経済主体で構成される。政府は企業と家計の課税した税収により資源配分、所得再分配、景気調整機能による財政運営を行う。

経済学の歴史を振り返ると、古典派(自由主義・新自由主義)とケインズ派間で経済政策論争が戦われてきた。古典派は、政府の介入をなるべく小さくして「小さな政府」として市場を自由放任に任せると「神の見えざる手」がはたらき「最大多数の最大幸福」を達成できるとして自由市場至上主義を標榜する。

これに対しケインズは、一国の経済規模は国民総需要の大きさによって決定される。幾ら供給を増やしても、需要以上のモノが売れることはあり得ない。これを経済活動の原動力となる国民総需要を「有効需要」と呼び、国民総生産は有効需要に等しくなるとした。これがケインズの「有効需要の原理」である。

19290年、ニューヨーク証券取引所の株価大暴落は、世界中波及して金融恐慌を引き起こし、世界経済を大不況に陥れた。1993年の米国の工業生産が1/3にまで低落し、1200万人に達する失業者を生み出し、四人に一人が失業した。米国ルーズベルト大統領は、大不況を克服すべくテネシー川流域開発などの公共事業などを行って財政出動し、有効需要を喚起する政策を実行して景気を回復させ経済を立て直した。これによって不況時の経済対策に「有効需要の原理」が有効であることが証明され、その後の各国の経済政策に採用されるようになった。

世界経済における「比較優位説」
TPPは「すべての品目の関税の撤廃=自由貿易」を究極目標としている。
「比較優位説」は各国が生産性の高い品目に生産を特化して輸出し、生産性の低い品目を輸入して国際分業を行なうと、全体の「総生産量の増大」し双方の利益になる筈だという。

TPPを推進する側は、自由貿易を擁護するデビット・リカード(1772-1823)の「比較優位説(比較生産費)」を論拠としている。国内市場のみならず国際貿易においても自由市場(貿易)主義を実現すれば、貿易を行う双方にとって益となる(厳密には双方共不利益をもたらさない)ことを生産性の異なる二品目を使って理論的に証明した。

「比較優位説」を論拠として自由貿易を推進しようといているTPPは、果たして日本の国民の利益になるものだろうか。

安倍政権の経済政策と公債の金利負担

安倍政権は、
1)2%(以上)のインフレ目標設定
2)日銀による金融緩和拡大
3)公共事業による需要増
の三つを経済政策の基本としている。

財務省 わが国の財政事情一般会計歳入歳出の推移より、2012年のわが国の国債発行累計748.2兆円、国債残高521.8兆円、金利加重平均推定約1.2%(この国債は中央政府分のみ)。また同資料により利払いを含めた国債費21.9兆円。平成24年一般会計予算(2012.4.5成立)90.3兆円。

(参考 一般的な定期預金利率0.025% 100万円の預金で利息が250円。
100万円の国債の1.2%の利払いでは1万2千円)

この国債費は、行政費として国民生活に使われず、国債の元本の償還と利払い分として国債保有者に支出される。国と地方、社会保険基金を含めた公債残高は約1000兆円を超え、GDPの約2倍という国はサラ金財政状態にある。

今回、仮に安倍政権の基本政策によって2%の経済成長を達成したとしても、給与所得者は、インフレによる物価上昇により若干の収入増が相殺される。その一方国債保有者(不労所得生活者)には、景気の動向に左右されることなく確実に金利分が懐に入る。

国債保有者を除く国債を持っていない大部分の国民は、あり得ない経済成長すればもっと豊かになるという幻想によってめくらましされ、景気に左右されながらその経済成長の恩恵を受けることなく営々と国民総生産に励むという構図になる。どこか間違ってはいないだろうか。

「比較優位説」の功罪
18世紀以前には各国間で自由貿易が盛んに行われた。18世紀~19世紀にかけて英国で産業革命が起こり、英国は安価な工業製品が世界中に輸出してバクス・ブルタニカと呼ばれる繁栄を誇り世界の富を独占した。その後、米国が豊富な天然資源と労働力を使って大量性を行って工業製品を生み出し、英国に取ってかわりバックス・アメリカーナと呼ばれる繁栄を遂げ強大な軍事力をもった覇権国として世界に君臨し今日に至っている。

過去の歴史をふりかえってみると、自由貿易を推進して利益を得た国々は常に当時の強国(または生産性の高い産業)であり、不利益を被ったのは弱国(または生産性の低い産業)だった。今日のように生産性の高い時代に比較優位説に基づいて自由貿易を推進しようとする意図は何か。それは強国が弱国から収奪して更に高い収益を確保しようとするものに他ならない。その証拠に弱国または生産性の低い産業が壊滅するなど不利益を被ることが自明なため農業部門を筆頭に反対の声が上がっている。

TPPと農林水産業
産産業革命以来、わが国では都市が大規模な工場で工業製品を生産し、農村では小規模農家の農業生産物を生産してきた。労働力と資本を集中して大量生産する工業製品の生産性が高いのに対し、小規模農家の農作物の生産性は格段に低い。そのため都市の給与所得者と農家との大きな所得格差が生じるようになり、農家では生計を立ててゆくことが困難になった。農家の働き手は次々に工場のある都市に移り住むようになり、現在益々農村は過疎化・荒廃し、はたらき手が65歳以上になるなど全国に限界界集落が増えている。

日本の食料自給率はカロリーベース総合自給率で39%、生産額ベース総合自給率で69%、穀類27%(2010年度)となっている。食料は人間にとって生命維持に欠かせないものである。食物は血と肉となって人間のからだをつくる。古来、人間は環境に適用して身の周りの食物を獲得して食文化を育んできた。

農耕民族は、それぞれ米や小麦を、狩猟民族は獣や魚を主食としてそれぞれの民族ができた。本来人間の体は、永い歴史の間に地産池消によってつくってきた。世界中から食物が食卓にのるようになったのは、ごく最近のことである。

戦後日本は、米国の余剰農産物を受け入れ、小麦や肉を摂るようになった。その上、近年になって米食が減り、世界中から食物を輸入するようになって、これまでなかったアトピーや未知な病気が抵抗力にない乳幼児に起きるようになった。気候風土の異なる食物を人が食するとどうなるかは学問的にほとんど検証されていない。

またTPPによって食料が自由化されると、外国から安い食料が輸入され国際競争力の弱い日本の農水産業は壊滅的な打撃を受ける。そうなれば水田などの洪水調整機能や美しい農村風景が失われてしまう。市場原理で論じられる工業製品と食料を同列に論じることに無理がある。戦前日本人は米を主食とし一人当たり年間約150kg食していた。現在米食はその半分以下の約60kgに落ちている。

世界中どこでも伝統的な食文化や生活様式を重んじている。それに対し戦後日本では米食を主体とした食文化による伝統的な生活様式を捨て去り、これを一変させたのは世界中で日本だけである。現在日本人は、既に食生活が外国食品で占められ、日本の食文化・伝統的な生活様式が損なわれ日本民族としての独自性を失ってしまった。

仮に、日本人が昔のような米食に戻るようになれば食料自給率は100%を超え、劇的に農水水産業の携わる人が増え、地域経済が回復して豊かな農村が戻ってくる。

倍政権の新自由主義経済政策
これまで、1980年代英国サッチャ首相の金融ビックバンに端を発した、金融自由化・グローバリズムのサャチャリズム、米国レーガン大統領のレーガノミクスが続く。今回安倍政権が推進しようとするアベノミクスによるTPPは従来の新自由主義経済政策の延長線上にあり、その総仕上げとなるものだ。

新自由主義経済政策によって世界はどうなったか。富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しくない、所得格差が増大した。以上のことを考えてみると、TPPで利益を得るものは誰か。国民の利益のなるものかどうか、自ずから見えてくる。究極のグローバリズムによる自由貿易を目指すTPPは、世界標準はなく、米国の国益を優先する正に米国標準そのものということができる。

経済成長はだれのためのものか
生産性の高い産業の品目が生産性の悪い産業の品目を駆逐する、これが市場原理である。産業革命以来、これによって古い産業滅び、新しい産業がとって代わり生産量を増大してきた。戦後1970年頃まで、もの不足の時には需要が供給を上回っていたため高度経済成長が続いた。1980年頃から、逆にもの充足しはじめ供給が需要を上回るようになってきた。いわゆる「失われた20年」というデフレ不況の時代に入り、今日まで続いている。

また、エネルギー消費増大、生産量増大が環境を悪化させている。現在既にモノは充足しており、これ以上のモノの供給、すなわち経済成長など必要ない。人口増は停滞し逆に減り始め、モノが溢れて需要が伸びず市場規模は飽和から縮小に転じている。

古典派は自由貿易・小さな政府を、ケインズ派は適宜な保護貿易・大きな政府をそれぞれ標榜してきた。その時代の不況等の現象が先にあり、それを説明できる理論はあとからついてくる。現実の経済を解決できない理論の適用は間違っている。

TPPに参加すると関税が撤廃され、参加国間で自由貿易が行われる。この場合全参加国が構成する世界経済には、国民経済がもつような世界政府による世界財政が存在しない。

一部の強者の利益確保よりも多数の弱者の利益を守ることが民主主義である。

参考
自由主義経済学始祖:アダム・スミス(1723-1790)
ケインズ経済学始祖:ジョン・メナード・ケインズ(1883-1946)

アダム・スミスと、ジョン・メナード・ケインズが本来意図していたこと
一人一人の市民が、人間的な感情を素直に、自由に表現し、生活を享受することができるような社会、それが新しい市民社会の理念であるが、そのような社会を形成し、維持するためには、経済的な面でゆたかになっていなければならない。主著『国富論』は、健康で文化的な生活が営むことが可能になるような物質的な生産の基盤がつくらなければならない。『道徳感情論』を基礎に置いて、新しい市民社会の経済原理を明らかにしようとする意図で書かれたものであった。21頁

資本主義の市場経済制度のもとにおける資源配分、所得分配は必ずしも効率的ないし公正なものではない。また経済循環のメカニズムもまた安定的なものではなく、政府がさまざまな形で経済の分野で関与しなければ、安定的な、調和のとれた経済運営は望みえない。政府は、たんに、所得分配の平等化という古典的な政策目標だけでなく、さらに労働の完全雇用と経済活動の安定化という要請にこたえて、財政・金融政策を弾力的に運用するという、のちにケインズ主義と呼ばれるようになった、資本主義経済の経営理念を求めるというのが、ケインズが常に意図していたことだった。138頁
宇沢弘文 経済学の考え方 岩波新書