2013年7月ヒヨドリの子育て

「桃栗三年柿八年、柚子の大馬鹿18年」果実がなるまでの年数がかかる筆頭に柚子がある。わが家では東側面に添って刺の鋭い大柚子を植えている。40年前に家を建てた時に植木屋さんから柚子の苗を買ってきたものだ。その後、改築などを重ねる度に移植してきたが、ようやく数年前から実をつけるようになった。昨年初冬には約50個の実を収穫した。だいぶ枝葉が混んできたので、今年3月の終わりに思い切って大枝を降ろして小ぶりになるように剪定した。5月に入って勢いよく枝葉を伸ばしてきたが、さっぱり花が咲かない。どうも古枝に付く花芽までとってしまったのが原因らしい。

その後、しばらくの間花がついているかどうか柚子を見上げることを止めていた。6月になってフト柚子を見上げると、上枝と下枝の約10cmの隙間に囲まれた中に枯枝などを集めた小鳥の巣を発見。脚立を立てて中を覗き込んでみると、巣の中にウズラの卵位の卵が4個ある。そういえば家のおばあちゃんが最近、ユヨドリの鳴き声が頻繁にしていると云っていた。まさか自宅の柚子に野鳥が巣をつくるとは。

それからヒヨドリの子育て観察がはじまる。
ヒヨドリは子育てをつがいでおこなうが抱卵するのがメスで、その間オスは餌を探してメスに与え10日ほど卵をあたため約半月くらいで巣立つという。
6月10日、一階東側面の窓から斜め方向約2m先にヒヨドリの巣があるので、柱に寄りかかりながら一脚のカメラ台を立てて巣を撮影する。メス鳥は巣に覆いかぶさり、雨がふってきても身じろぎひとつしない。オス鳥は東側面通路を行き来きしてピーヨピーヨと大声をあげる。東側面窓の庇や隣家との境のフェンスに留まり、しばらくして身をひるがえし、一瞬で大刺の中の巣の脇の枝に留まる。オスは抱卵中のメスに嘴から嘴へ餌を与えている。その間約10秒位して飛び去る。

6月14日、どうやらヒナが生まれたらしい。チイチイと鳴き声がする。
ヒナは近づいてくる親の鳴き声で一斉に仰向けになり、橙色の嘴をあける。まるで顔中口だ。約15分位でオスメスが餌を運んでくる。先にきた方がもう一方が来るまで物干し棹などに一時留まり、鳴き声を交わしながら交互に餌を与えている。
そのうちに大きなトンボを運んできた。さすがに一度に口に入らない。親は嘴でちぎってあたえている。だんだん図々しくなってきた。柚子に約3m位近寄っても逃げない。そでも警戒心は強いのか鳴き声が鋭い。必死の子育てがこれほど親鳥を強くするものか。

それから1週間経った朝5時頃、家の外の騒々しいヒヨドリの鳴き声で妻が目をさます。引き戸を開けて外をみるとどこかの白猫が柚子の巣を見上げている。巣に留まっているメス鳥は、しきりに鳴き声をあげる。どうやら負傷しているようだ。木の下には原型をとどめていないヒナの死骸が横たわっている。野良猫は柚子の木に登り、ヒナを喰ったものらしい。急いで木の下のその猫を追っ払った。

一時間ほどして巣を見上げると、そこには負傷したメス鳥がいない。隣家の庭を見下ろすと、その下の家との境のフエンスにメス鳥が嘴を上に向けて留まっている。そこまで飛んでいったものか。よく見ているとオス鳥が飛んできたメス鳥に嘴から嘴に餌を与えている。ヒナは死んでもういないが、負傷して身動きできないメス鳥にオス鳥が健気にも餌を運んでいるのだ。本能のなせる業かもしれないが、この痛ましい夫婦愛には胸を打たれる。


ヒヨドリの解
全長27.5cm。全体が灰色に見える色彩の鳥です。花の蜜や果実が大好物です。これは熱帯が主生息地であった祖先ヒヨドリの名残り。今では虫や草の葉、芽も食べますが、花が咲くと蜜を吸いにやってきます。
東京では1970年頃までは10月に渡来し、4月に渡り去る冬鳥でした。それが、留鳥として一年中棲むようになりました。より南に棲んでいた留鳥が北上してきたものと考えられています。また、今も秋には北海道から多数のヒヨドリが本州、四国、九州へ渡ってきます。

ヒヨドリは日本中に棲んでいますが、小笠原や沖縄など南の離島では留鳥ですので、独自に色彩が変化し、茶色味の強くなった亜種がいくつも知られています。
その昔、一ノ谷の戦いで、源義経が平家の軍勢を追い落とした深い山あいを「ひよどり越え」というのも、そこが春と秋ヒヨドリの渡りの場所になっていたことからです。
日本の鳥百科より転載http://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/