2014年10月「おわら風の舞(八王子)」余録

 毎年「おわら風の盆」は9月1日~3日の3日間、富山県八尾町で行われる。わたくしは富山県の生まれだが、残念ながら本場の行事をみたことがない。近年は大勢の観光客が押し寄せ大変な賑わいとなっているという。そのためか現地で宿泊客を収容できず、富山県各地の市町村(生まれ故郷の福光でも)の宿で客を受け入れているようだ。

 都会の人たちが田舎に出かけてゆき、農村の風景や祭りに参加することは心身をリフレッシュする意味でも良いことだ。行事は毎年やってくる。今は大分減ってきたが、日本人の主食は昔からお米だった。経済の中心を米が担っていた。米づくりは採種から始まって収穫に至るまで88の手間がかかる。梅雨の長雨、夏の日照り、そして秋の台風シーズンまで、ひとたび狂うと風水害が襲い米がとれず凶作になることもある、自然相手のお天気まかせの一面がつよい。
 おわら踊りのしぐさには農作業の工程が取り入れられているという。

 9月1日は、もともと旧暦の八月朔日(ついたち)に由来する日程です。この時期がちょうど台風のシーズンと重なるため、昔から農業の暦では旧暦八月朔日の時期には「八朔」(はっさく)、「二百十日」(にひゃくとおか)など特別な名前が与えられ、全国的に風の厄日とされていました。「おわら風の盆」は、この風を鎮めることを祈る踊りとされているのです。
ところで9月なのに「盆」というのはなぜでしょうか。
 八尾町おわら資料館のガイドの方のご説明によると、かつて「盆」という言葉は旧暦7月15日のいわゆる「盂蘭盆会」だけではなく、何らかの節目の日一般を表すという使い方があり、これが八朔にも用いられるようになったのではないかとのことです。
 「盆おどりの世界」http://
www.bonodori.net

 越中おわら節
1(唄われヨー わしゃ囃す)
  来る春風 氷が 熔ける
  (キタサノサー ドッコイサノサ)
  うれしやきままに オワラ 開く梅
  (越中で立山 加賀では白山 駿河の富士山 三国一だよ)
  (キタサノサーアー ドッコイサノサ)

2 唄の町だよ 八尾の町は
  (キタサノサー ドッコイサノサ)
  唄で糸とる オワラ 桑も積む
  (浮いたか瓢箪 軽そで流れる いく先やしらねど あの身になりたい)
  (キタサノサーアー ドッコイサノサ)

 9月20日、せめての「おわら風の盆」の雰囲気に味わうため、デジカメ撮影もかねて今年第11回越中八尾「おわら風の舞(八王子)」を見物に、午後5時半頃西放射線ユーロードへいった。「ステージ踊り」は横山町公園で午後6時過ぎはじまったが大勢の人だかりで良く見えない。カメラを一脚に取り付けてかろうじて数枚の写真をとった。

 午後7時過ぎ、踊りはやはり横丁の「流し踊り」を直にみる方が情緒があるので駅前銀座通りやジョイ五番街通りの方へ移動した。
遠くから静かな三味線、胡弓の音や唄い声が聞こえてくる。だんだんと踊りが近づいてきた。素顔の八王子芸妓衆だ。三味線や胡弓の弾き手を含めいずれも匂うような美形ぞろいだ。優美な所作にしばしみとれる。おわら踊りには通常編笠をかぶるが八王子芸妓衆はこれをかぶらない。ここに芸妓衆の一般とは異なる矜持を感じさせる。

 チラシを見ると午後8時半より中町黒塀通りで八王子芸妓衆が流し踊りをするという。すこし時間が早いが、午後7時40分頃に黒塀通りに着いた。もうすでにカメラマンが大勢路地にたむろしている。まだ時間は早い。どこか時間待ちするところがないかと路地を歩いてみる。あたりには高級な料亭やスナックなどが立ち並んでいる。路地の中ほどの丁字路から放射線通り方向へ2.3軒行くと「カフェsuzu」という喫茶店があり、奥から津軽三味線の音が聞こえてくる。二人のわかい客引きがしきりに寄っていけと誘う。このあたりで客引きというと一瞬警戒したが、それが学生風の人相をしている。

 通りがかりの中年の男女も誘われたので思い切って一緒に店内に入った。店には酒類はなく、コーヒー、紅茶やお菓子に抹茶のみだ。ただ聞くだけでもよいというが、それではあんまりなのでお菓子と抹茶を注文した。

 今日は「おわら風の舞(八王子)」ということで、いつもは土・日11:00から17:00営業のところ21:00まで延長しているとのこと。店の奥に一畳あまりの舞台がしつらえてあり、坊主頭の若い人※が津軽三味線の演奏をしている。夕方からの演奏と思われるがすでに津軽五大民謡の津軽じょんがら節、津軽小原節、津軽よされ節、津軽あいや節、津軽三下がりなどは弾き終えたらしい。
そのうちに粋な都々逸の弾き語りを始めた。これは若い人にはなかなか味を出すのは難しい。それには相当の経験と年期がいる。それでも十数人の客の中から素敵などの声援が飛ぶ。やがて十三の砂山の演奏が始まった。これも津軽を代表する民謡の名曲だ。

 《十三の砂山》の歌われる市浦村十三(じゅうさん)は、津軽半島の西北部に位置し、東側にはシジミで有名な十三(じゅうさん)湖が広がります。十三とは、元禄13(1700)年に、津軽家5代藩主・津軽信寿が土佐守に任じられたことから、それをはばかって「十三」は「とさ」から「じゅうさん」に改めたといいます。ただし、十三湖は13の河川が流れ込んで出来た潟湖であって、どうも地名としては「じゅうさん」の方が古いようです。

 この十三はかつて中世の港湾施設を持った湊町であったといい、鎌倉時代には十大貿易港として指定され、江戸時代には、三厩、深浦、鰺ヶ沢とともに「津軽四浦」の1つとして知られ、日本海を航行する北前船の「弁財衆」が集まって賑わったところといいます(弁財衆とは、船頭衆の責任頭のこと)。
 民謡コレクション「十三の砂山」http://senshoan.main.jp/minyou/minnyou-tosa.html

 十三の砂山
1 十三の砂山ナーヤーエー 米ならよかろナー 
  西の弁財衆にゃエ ただ積ましょ ただ積ましょ
  弁財衆にゃナーヤーエー 弁財衆にゃ西のナー
  西の弁財衆にゃエ ただ積ましょ ただ積ましょ

2 さあさ出た出たナーヤーエー 唐土船よナー
  波にゆられてエ そよそよと そよそよと
  ゆられてナーヤーエー ゆられて波にナー
  波にゆられてエ そよそよと そよそよと

3 つつじ椿はナーヤーエー 山でこそ咲くがナー
  今は十三船のエ ともに咲く ともに咲く
  十三船のナーヤーエー 十三船の今はナー
  今は十三船のエ ともに咲く ともに咲く

 これは民謡の習いなじめの頃に唄った唄で、力強い津軽民謡の中にあって一風哀調をたたえた曲である。飛び入りで唄ってみようということで、申し出て弾き手の伴奏で唄った。事前の音合わせなどの打ち合せもなくぶっつけ本番だったので思うようにゆかなかったが、皆さんにきいていただくことができた。

 後記
 この「カフェsuzu」は中大生が街おこしの一助として土日午後に店を開き、コンセプトは“交流の場”。世代間の交流の中で若者は人生の先輩から学び、逆にご老人は若者から活力をもらうとのこと。
※五錦雄互氏:津軽三味線第一人奏者「五錦竜二」に師事し、五錦流名取「五錦雄互」となり、現在師範。関東を中心にソロライブやセッションをおこなっている。