2014年3月二週連続して東日本を襲った「平成二八豪雪」

2月7日から8日にかけて、八王子では約20センチの積雪があり家屋や道路が雪で埋まった。主要道路では車やバスなどが大渋滞した。7日午後には中央線や京王線の電車は急行や特急が運休になり各駅停車に切替え大幅にダイヤが乱れた。

それから一周間たってようやく雪が解けてきた矢先、14日、15日の両日にわたり再び記録的な大雪が東日本を襲った。立春を過ぎてから寒気団が日本列島を2週間以上ながく覆っていた。寒気のためか降った雪はさらさらした粉雪だった。

14日午後2時前、激しく雪が降る中、雪景色を撮影しようとして家を出た。多摩御陵を抜け高尾駅まであるき、京王線に乗って高尾山口駅まで行ってみた。長靴を履いて家の前の道路にでると、もう既に約30センチ以上雪が積もり辺りは真っ白で道幅が分からない位になっている。誰かが先に踏んだ狭い雪の靴跡をたどりながら中央線の陸橋に上る。そこから下り方向と上り方向を望んだ。時々屋根に雪を積んだ電車がやってくる。そこを下りて国道20号の御陵交差点に着く。車道は雪で埋まり、車はノロノロ運転で大渋滞している。そこを横切って御陵大橋まで歩く。段々あたりは薄暗くなり雪が激しくなる。大橋から川上を眺めると高尾山が雪で霞んで見え一面の雪景色である。

そのまま公園の中を抜け、参道の歩道を踏みしめしながら御陵入口にたどり着いた。御陵は既に閉鎖され中に入れない。このまま家に戻るとしても大分距離があるので高尾駅まで足を延ばそうと思い立った。その頃になると高尾駅への道が雪で埋まり、車は道路で立ち往生している。なんとか歩いて高尾駅に着く。国道20号線は車が大渋滞で、交通はマヒ状態になっていた。

中央線も京王線もダイヤが乱れ、各駅停車はなんとか運行しているようだ。遅れてきた電車に乗り京王線で高尾山口駅に着く。プラットホームに降り立って見渡すと山国に来たような雪景色である。ケーブル登山口まで行ってみたがもちろん運行停止。男女の外国人の登山客が一号路をのぼって行った。男性は運動靴、女性は長靴、雪は増々激しく降ってくる。この分では少し行ってから引き返してくることになるだろう。

帰りが大変だった。午後4時過ぎ狭間駅に降り立つと、もう駅前は約40センチ以上の積雪だった。陸橋を過ぎで北斜面の家への道は膝上までの積雪になっており、ラッセルしながらようやく家に辿り着いた。


大雪の解説
日本列島に降る大雪は日本海側と太平洋側で仕組みが異なる。日本海側ではシベリアからの寒気が日本海を渡ってくる時に水蒸気を供給され、高い山々に吹き付けるなどで積乱雲が発達して、大雪になる。一方、太平洋側は日本の南を東に進む「南岸低気圧」に伴い、暖かく湿った空気が吹き寄せ、北からの寒気とぶつかり積乱雲が発達して大雪になることが多い。

2月14日から東日本を襲った大雪。太平洋岸の雪は本州の南岸を低気圧が通ることで降ることが多いが、なぜ記録的な大雪になったのか。低気圧の進路や急発達、寒気の南下、低気圧の速度を遅らせて降雪を長引かせた高気圧などの悪条件が重なった。
朝日新聞2014.20.20記事抜粋

豪雪記録
1963年「三八豪雪」。北陸地方における降雪量、戦後最多。被害規模、戦後1位。新潟発上野行きの特急が雪で立往生、106時間も遅延(遅延時間最長記録)。交通の全面ストップで三条市のような都市でも日用品が姿を消す。1月26日には自衛隊出動。豪雪の後は雪崩で多くの人命が失われた。最深積雪:金沢181(史上1位)、福井213(史上1位)、富山186(史上2位)、長岡400(史上1位)、大野288、新庄177、敦賀154、高田143、米子80(史上1位)、福江43(史上1位)、新庄177、酒田80、長野60、松江83。新潟県東三条で5日間降雪量320。
1969年 最深積雪:新潟82、富山110、福島43、東京30(戦後2位)。
2014年 「平成二六豪雪戦後3位」最深積雪:甲府114、河口湖143、秩父98、前橋73、熊谷62、宇都宮32、東京27(戦後3位)、八王子高尾周辺50位前後か
大雪の記録 http://www.alles.or.jp/~kazahana/weather/sub2data/ohyuki.html