2014年9月 「8月15日」は戦前戦後を分かつ革命記念日

 ふたたび巡ってきた69年目の8月15日、公には終戦記念日と称している。事実として敗戦だったことを直視しないで(またはあいまいにして)、ことばだけで重大な日を言い繕っている感がする。戦争を知らない若いひとの中には終戦記念日が何の日か知らない人もいるという。そのあいまいにしてきた付が、安倍内閣が進めている解釈改憲による7月1日の「集団的自衛権の行使容認」の閣議決定にまで至っている。白昼堂々と憲法違反が行われた。法と憲法はどこが違うか。法を犯すと罪に問われる。

 現在安倍首相が7月1日に「集団的自衛権の行使容認」を閣議決定したことは明白な憲法違反である。戦争を知らない世代の現政権が、架空の論理をふりかざして「集団的自衛権」が「国民の生命と財産を守る」などとは笑止千万だ。安倍首相の言動を見ていると、悲惨な戦争を招いた旧軍部戦争犯罪人が犯した重大な戦争犯罪に対する一国の首相としての深刻な反省がみられない。
 日本国憲法の成立は確かに米国の押し付けはあったかもしれないが、今や民主主義を戴した日本国民の骨肉となっている。その憲法の条文を、正統な手続きを経ずに一内閣の「閣議決定」によって解釈改憲しようとすることは言後同断である。

 最近の世論調査によっても(読売新聞を除き)、大方の新聞は「集団的自衛権の行使容認」に大勢が反対している。世論が盛り上がり国民発議の上憲法改正をするのならまだ分かるが、政権主導の憲法改正はいただけない。そもそも歴史的に憲法は、国民が国家権力を縛り、その暴走を食い止めるためにつくった国民の最高法規である。
  8月15日は戦後民主主義が始まった革命記念日であったと、被爆し出征経験をもつ政治学者丸山真男がいっている。白洲次郎「プリンシプルのない日本」も、同様に同日は戦前戦後を分かつ革命が起きた日と同様の趣旨を述べた。

 憲法9条の制約を逃れる為政者の様々な言い換え
為政者はその正当性を主張するために、憲法9条の制約により煩雑な言い換えを行っている。その戦力は自衛力と言い換え、軍隊は当初の警察予備隊から保安隊となり、兵隊は現在自衛官、兵器はなんというのか、軍隊海外派兵は自衛隊海外派遣。ついに軍隊は防衛省が所轄する堂々たる軍備をもった自衛隊となった。まさに小さく生んで大きく育ってしまった。言い換えは他にもある。敗戦は終戦、占領(軍)は進駐(軍)など。

 「言い換え」するということは、いうことに自信がないため、後ろめたさがあるからである。為政者が国民に対して使う言葉のなんと軽いことか。古来日本は言霊といわれ、原初より言葉には真実がこもっていた。真実に目をふさぎ、その時々の事柄を目くらますために「言い換えた」とすれば、それは大きな間違いである。国民は真実を知っている。安倍首相の「日本を取り戻す」、「戦後レジューム(戦後体制)からの脱却」の言葉がいかに空々しいか。言葉に真実がこもっていない。このような真実を直視して伝えない為政者が国民に信を問うことができるだろうか。真実を伝えられない為政者をもった国民は不幸である。

 それでは革命とは一体なんだろうか。(次に参考資料を掲載)

 一般に革命という概念は、正当性を備えている既存の政治秩序を変更させる政治的活動と関連しており、歴史的には1688年の名誉革命や1789年のフランス革命などの市民革命を挙げることができる。近代以後の政治理論においては革命の概念は、古い政治秩序の破壊と新しい政治秩序の構築をもたらす動態的かつ抜本的な変革を意味している。

 市民革命(ブルジョワ革命)とは、封建的な国家体制を破壊して、近代的市民社会をめざす革命を指す。革命の主体は通常は有産市民階級つまりブルジョワジーであるためブルジョワ革命とも呼ばれる。市民革命(ブルジョワ革命)は、一度で完了するとは限らない。市民革命後に反動が起きて、その後再度の市民革命に至る場合が少なくない。数え方にもよるが、イギリス、フランス、スウェーデンなどは2回、トルコは3回、スペインは4回の市民革命が発生している。

 古典的な市民革命が一応完了しても、政治的経済的課題は残存する事がある。例えば地主制が強力で小作農の貧困がひどいとか、労働者階級の貧困がひどいとか、絶対王政が倒れても別の独裁政権や全体主義政権になったとかである。社会主義革命、イスラム革命、反共産主義革命、現代の革命、その他の革命(ファシズム化など)は、古典的な市民革命がやり残した課題の処理という側面はある。
 革命 ウイキペディアフリー百科事典より一部転載

 「革命の概念」は古い政治秩序の破壊と新しい政治秩序の構築をもたらす動態的かつ抜本的な変革を意味するという。たしかにあの8.15を境に、一日にして戦前と戦後の政治秩序は革命的に変わった。
 しかし、この革命は国民が主体となった市民革命ではなく、圧倒的な権力をもつ占領軍という外部の圧力によるものだった。これが不完全な民主主義革命であったために、旧政治勢力が生き残り戦前の閣僚をつとめた戦犯ともいえる岸信介が戦後の首相に座るという、およそ世界の政治体制では考えられない事態がおきた。
 岸信介の孫である安倍首相の主張する「戦後レジューム(戦後体制)からの脱却」は、まさに旧政治勢力の名誉回復を狙ったもので、歴史の流れに逆行するものである。