2015年5月小金井公園の花見

 4月2日、仲間と小金井公園に花見をかねたデジカメ写真撮影にゆく。JR武蔵小金井駅からバスで約10分、公園西口9時半頃下車。この公園は園内が柵で仕切られていないため、隣接する道路から簡単に入園することができる。バス亭近くの入口から中に入ると、桜並木が広い道の両脇からおおっている。七分咲き位だろうか。桜は花弁が白いので青空によく映える。

 ここは開放的な園のためか、若い男女、犬を引いいて歩く人、乳母車に赤子をのせた若夫婦、中高年の男女連れなどが次々に通ってゆく。自転車に乗った一行もやってくる。平日にもかかわらず家族連れも多い。さすがに花見シーズンである。通りの右手にSL機関車の展示場が見えてきた。目に沁みる芝生のみどりと青空に浮かぶ白雲を背景に、うら若い桜と機関車が絵になる。

 さて、どんな構図を切り取るか。機関車を遠くに配置するか、近くにするか。中央に置くか、左右に置くか。桜とどのようにとり合わせるか。絵として見た人が心地よく感じられなくてはならない。それぞれの感性が試される。近づいたり離れたり、上下の位置に変えてみたり、左右に移動したり、いろいろ試してみる。コンパクトカメラは一眼レフのように三脚を据えてフアインダーを覗かなくても、カメラを片手で操作できるため色んな角度から構図を自由に決められる利点がある。

 歩いていると江戸東京たてもの園に向かう通りの両脇は広い芝生があり、その奥が桜林になっている。園の右側にステージが設けられている。花見まつりは4月3日からという。出店の準備などが行われていた。今日はまつりの前日というのに多くの家族連れや小グループの男女がてんでに芝生にシートを敷いて花見の宴をしている。芝生に花見客、その背景に桜と青空。絵にはなる風景である。

 江戸東京たてもの園
 入園料200円(65歳以上半額)を払って入場する。明治大正時代の建物が並ぶ通りを抜け、奥に位置する多摩の模擬農村風景を訪ねる。ここには多摩地区から移設された農家の建物がある。八王子千人同心組頭の家である。千人同心は半士半農といわれているが、家のつくりを見るとほとんど農民と変わらない生活をしていたようだ。

 薄暗い土間の上り框脇に囲炉裏がきってあり、かかりの人が火に薪をくべていた。昔の農家は身の藁などを使って草鞋などの日用品を手作りしていた。ここを維持している人たちは農家の生活を再現しながら農作業の伝承をしている。非日常的なの古い農家の生活風景は被写体として面白い。囲炉裏の火に焦点を当てて場所をかえながらシャッターを切る。
 ここの屋内は薄暗いため、通常の風景設定絞り優先SvからSCN設定ISO 3200(キャノンG10)に切り替えて撮影した。

 訪ねてみたい建物は他にも沢山あったが、時間の関係で建物の中に入らず外の風景を主に撮影した。東ゾーンに行くと趣のある明治大正の商家が並んでいる。醤油店、居酒屋、銭湯、仕立屋、文具店、生花店、荒物屋など、それぞれの時代を感じさせる。ここの歴史的建物と桜と取り合わせは面白い。
 現代の建物では生活感を感じさせるものが少ない。これが進歩なのか、退歩なのか。現在、未来にわたって生活文化というものを考えずにはいられない。

 ここは160haの昭和記念公園に次いで約80haもあり、都内で2番目の広大な敷地を有している。江戸時代より桜の名所として知られていたようだ。

 かつて小金井の玉川上水の両岸の桜並木は名勝「小金井桜」として広く知られ、毎年春には観桜客でたいへん賑わい、明治天皇をはじめ皇族も見物に訪れるほどであった。1889年(明治22年)には甲武鉄道(後の中央本線)の新宿-立川間が開業したが、しばらくの間は小金井の地には駅はなく武蔵境駅の次は国分寺駅であった。それが「小金井桜」の花見に訪れる人が多いため、1924年(大正13年)には小金井に花見シーズンだけの仮乗降場が設けられた(これが後に武蔵小金井駅となる)。それほどの「桜の名所」であった。

 この玉川上水の桜並木は、1737年(元文2年)に植えられたもので、1924年(大正13年)に史跡名勝天然記念物法により「小金井桜」として名勝に指定された。しかし、1950年代になると五日市街道が拡幅整備されるなどして交通量も増え、また桜並木も衰えてかつての面影はすっかり消え、「桜の名所」のイメージは著しく低下した。それに引き換え、玉川上水の目の前に小金井公園が整備され開園(1954年)すると、桜をはじめとする樹木も多く植えられ、現在では「桜の名所」の地位は玉川上水から小金井公園に完全に移ってしまった。
 ウイキペディア百科事典より転載