2015年6月戦後70年目、安倍政権の歴史認識を問う

 今年は戦後70年の節目を迎える。わたくしは1940年生、1945年8月15日敗戦日当時5歳だった。敗戦日から2週間前の8月1日から2日にかけ米軍による空襲で、富山市は99.5パーセント市街地を焼きつされた。広島、長崎の原爆投下に次ぎ、地方都市の空襲としてはもっとも被害規模が大きかったという。富山市から直線距離で約30km離れたふるさと福光町の小矢部川にかかる鉄橋で、北東方向の空が真っ赤に染まるこの空襲をわたくしが見た記憶がある。

 しかし8月15日敗戦玉音放送の記憶がない。なにせ幼かったために終戦の意味が理解できなかったためだろう。新制小学校第1期生として7歳で入学。当時中学校は新中と略して呼ばれていた。少年時代に戦前戦中戦後の期間を経験してきた、わたくしは戦争をわずかに知る世代である。

 75歳以上の実際の戦争を知る世代の敗戦日8月15日玉音放送を聞いた各種報道を読むと、戦争を指導してきた上層部軍人と、それ以外の下級軍人及び非戦闘員の一般国民間とでは大きな違いがあったようだ。責任感のあった軍の上層部に中には一部自決した人もいた。
 敗戦によりこれまで国民の上に君臨していた権力者・軍隊が一気に消え、今まで頭から抑えきた抑圧者が消え去ったため、一般国民には青空が一気に眼前に広がってきたという気持ちを抱いた人が多かったという。

 2015年、65歳以上の人口3,309.3万人が総人口12,691.0万人に占める割合は約73.8%。戦争を知らない戦後生まれが総人口の3/4以上を占める。戦後生まれのベビーブームの競争が激化した団塊の世代(1947年~1949年生まれ)」も仕事のバトンを若い世代に渡し引退生活に入っている。政治の世界主要指導部は、戦争を知らず自ら戦争に行くことのない団塊世代前後が主導権を握っている。

 世代間により、戦争から受ける重み、戦争観に相当のひらきがある。
 親兄弟を失った戦争体験をもつ世代は心の底から戦争を二度としたくないと思うのに対し、戦争体験のない世代はニュースから入るゲーム感覚でしか戦争を捉えることができない。これは仕方のないことかもしれないが、知識として歴史を学ぶことはできる筈である。どちらかというと戦後70年の間、これまで学校教育でも戦争の歴史を教えてこなかった。現在日本社会全体の中で戦争の記憶が失われようとしている。

日本国憲法制定
  1946年11月3日、日本国憲法は公布され、その6ケ月後に施行された。国民主権の原則に基づいて象徴天皇制を採り、個人の尊厳を基礎に基本的人権の尊重を掲げて各種の憲法上の権利を保障し、戦争の放棄と戦力の不保持という平和主義を定める。また国会・内閣・裁判所の三権分立の国家の統治機構と基本的秩序を定めている。「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つは、日本国憲法を特徴付ける三大要素と呼ばれることもある。

 この憲法の内容を聞かされた外地から引き揚げ復員してきた元軍人達は、不戦の誓いと恒久平和の願いを込めて涙を流して狂喜したという。戦後70年、この憲法に守られて自衛隊は外敵に対して一発の弾も発砲することなく、ともかくも平和を維持してきた。世界中で日本の武力は保持するが使わないという特異な憲法第9条は知られている。これが世界中で日本に対し一定の敬意の念を抱かせ、他国からの攻撃に対する抑止力になってきた。


最近の国会論戦から
 自衛隊を「わが軍」との安倍首相発言
 本年3月20日、安倍晋三首相は20日の参院予算委員会で、自衛隊と他国との訓練について説明する中で、自衛隊を「我が軍」と述べた。政府の公式見解では、自衛隊を「通常の観念で考えられる軍隊とは異なる」としている。

 「戦争関連法案」との福島瑞穂社民党党首発言
 本年4月28日、参院予算員会岸委員長(自民)は、これを「戦争関連法案」といった福島瑞穂社民党党首に対して自民党が発言の修正を求めてきた問題について、同党は「表現の自由への侵害、国会議員の発言の自由は保障されている」と反論したため、議事録にそのまま記録するとした。

 「ポッダム宣言」の趣旨を認識していない安倍首相発言
 本年5月20日、今国会初の党首討論
《志位和夫委員長(共産)》過去の日本の戦争は間違った戦争と認識があるか。
《首相》先の大戦で多くの日本人の命が失われた。同時にアジアの多くの人々が戦争の惨禍に苦しんだ。我々は不戦の誓いを心に刻み、戦後70年間平和国家としての歩みを進めてきた。その思いに全く変わりはない。だからこそ、地域や世界の繁栄や平和に貢献をしなければならない。
《志位氏》戦後の日本は1945年8月にポツダム宣言を受諾して始まった。ポツダム宣言は日本の戦争について間違った戦争だという認識を示している。この認識を認めないのか。
《首相》ポツダム宣言を受諾し、敗戦となった。ポツダム宣言をつまびらかに読んでいないので直ちに論評することは差し控えたい。

閣議決定された「戦争法案」とはいかなるものか
 昨年安倍政府は、保持しても使用しない集団的自衛権という歴代政権が維持してきた憲法解釈を変え、これを使用できると閣議決定した。現在、これを法制化しようとしている。
 

参考に東京新聞と赤旗の戦争法案記事を掲載する。

 この「戦争法案」にはは「平和」「安全」「国際協力」という用語が使われている。しかし、この用語は体を表しておらず真逆の「戦争」ができるようにする内容になっている。同法案は、まさに憲法第9条の「戦争の放棄と戦力の不保持という平和主義」を真っ向から否定して蹂躙し、憲法を破壊するものであり、憲法違反法案と断ぜざるをえない。

戦後70年目の、安倍政権の歴史認識を問う
 安倍首相は、過去の日本の戦争が間違った戦争と認めたくないためか、あえて「戦後レジューム」の原点ともゆうべき「ポッダム宣言」をつまびらかに読んでいないといった。当時の政府首脳部は「ポッダム宣言」の全条項を受諾し戦争が終結した。
 安倍首相のいう「戦後レジューム」とは表向きには第二次世界大戦後の「民主化」改革によって作られた諸制度、日本国憲法およびその理念の下に制度化された諸制度・体制を指すが、内実歴代政権は安保体制下の実質的な対米従属軍事路線もこれに含まれる。

 安倍首相は「戦後レジュームからの脱却」という。すくなくても歴代政権は戦後体制の原点となった「ポッダム宣言」を肯定して新生日本を建設してきた。これを肯定するか否定するかは政権の舵取りにとって重大な岐路になる。
 安倍政権の「集団的自衛権」行使の閣議決定、一連の「戦争法案」という発想は、「ポッダム宣言」を否定したいという本音と、安保体制下の実質的な対米従属軍事路線という「戦後レジュームからの脱却」ができないという深刻な矛盾を抱えている。

 「戦争法案」、「原発再稼働・原発推進」に対して、最近の世論調査では半数以上が反対している。現在「戦争法案」の与野党の国会論戦では、「海外派兵」という文言が飛び交っている。「兵」とは「軍隊」を指す。自衛隊といい、平和安全法制といい、ことばの字面と中身が全く異なった使い方をするのは、為政者が国民を愚ろうしていることにほかならない。日本語は日本文化である。正しく使わなければ国語は衰退する。

 本来主権は国民にあるのだから、民主主義の原理から民意に背く政治はできない筈である。日本国憲法は国民主権を定めている。明治憲法は天皇が国を統治する総攬者として国家主権を定めていた。憲法は国家権力を縛り、国家に命令する最高法規である。安倍内閣は憲法改正を目論んでいる。そして歴史に逆行する、国家が国民に命令する国家主権を目指しているのではないか。


            自由民権運動
 明治時代、自由民権運動という全国民を巻き込んだ政治運動・社会運動があった。

自由民権運動のあらまし
 民権運動は明治維新の革命の課題を日本の人民がひきついだもので、民撰議院(国会)の設立を要求した1874年(明治七)から、じっさいに国会が開かれた1890年(明治二三)ごろまで続行された。この運動は人民の自由権のうち参政権(政治的自由)を求める「国会開設」に最大の焦点があったが、それと共に国民大多数の農民の要求である「地租の軽減」と「条約改正」の実現も重要な目標とされていた。
 この三大要求は近代的な立憲制の樹立、土地革命の遂行、民族の完全独立の達成を内容とする「市民革命」であることを意味していた。つまり、十七世紀のイギリスのクロムウェル革命や十八世紀のフランス革命、アメリカの独立戦争などの世界史における近代ブルジョア革命の一環だったのである。
(出所)色川大吉 自由民権 岩波新書1981第1刷10頁

 日本国憲法は占領軍から押し付けられたものされているが、このような日本国民の自由民権運動の前史があった。与えられた民主主義といわれているが、今こそ民主主義の真価が問われている。


          (参考)カイロ宣言
 1943年11月27(署名)
 
ローズヴェルト大統領、蒋介石総統及びチャーチル総理大臣は、各自の軍事及び外交顧問とともに、北アフリカで会議を終了し、次の一般的声明を発した。
 「各軍事使節は、日本国に対する将来の軍事行動を協定した。
三大同盟国は、海路、陸路及び空路によつて野蛮な敵国に仮借のない圧力を加える決意を表明した。この圧力は、既に増大しつつある。
三大同盟国は、日本国の侵略を制止し罰するため、今次の戦争を行つている。
 同盟国は、自国のためには利得も求めず、また領土拡張の念も有しない。
同盟国の目的は、1914年の第一次世界戦争の開始以後に日本国が奪取し又は占領した太平洋におけるすべての島を日本国からはく奪すること、並びに満洲、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還することにある。
 日本国は、また、暴力及び強慾により日本国が略取した他のすべての地域から駆逐される。
前記の三大国は、朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする決意を有する。
 以上の目的で、三同盟国は、同盟諸国中の日本国と交戦中の諸国と協調し、日本国の無条件降伏をもたらすのに必要な重大で長期間の行動を続行する。

         (参考)ポツダム宣言
 1945年7月26日
 ドイツのポツダムにおいて、アメリカ・イギリス・中国(のちにソ連も参加)が発した対日共同宣言。日本に降伏を勧告し、戦後の対日処理方針を表明したもの。

1.我々、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席とイギリス首相は、我々の数億の国民を代表して協議した結果、この戦争終結の機会を日本に与えることで意見が一致した。

2.アメリカ、イギリス、そして中国の陸海空軍は、何度も陸軍、航空編隊の増強を受けて巨大になっており、日本に対して最後の一撃を加える体制が整っている。
この軍事力は、日本が抵抗をやめるまで同盟国によって維持できるものだ。

3.世界中の自由な人々は立ち上がった。それに対してドイツが採った無益かつ無意味な抵抗の結果は、日本の人々に対しても極めて明快な例として示されている。
現在日本に向かって集中しつつある力は、ナチスの抵抗に対して用いられた力―全ドイツ民の生活、産業、国土を荒廃させるのに必要だった力―に比べると、測り知れないほど大きいものだ。
決意をもって、我々の軍事力全てを投入すれば、日本軍は壊滅し、また、日本の国土は焦土と化すだろう。

4.日本が決断する時は来ている。知力を欠いた身勝手な軍国主義者によって制御され続け、滅亡の淵に至るのか。それとも、理性の道を選ぶのか。

5.我々の条件は以下の通り。条件からの逸脱はないものとする。代替条件はない。遅延も一切認めない。

6.日本の人々をだまし、間違った方向に導き、世界征服に誘った影響勢力や権威・権力は、排除されなければならない。無責任な軍国主義が世界からなくなるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能である。

7.そのような新秩序が確立されるまで、また日本の戦争遂行能力が壊滅したと明確に証明できるまで、連合国軍が指定する日本領土内の諸地点は、連合国軍がこれを占領するものとする。基本的目的の達成を担保するためである。

8.カイロ宣言の条項は履行されるべきものとし、また、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする。

9.日本の軍隊は、完全に武装解除されてから帰還を許し、平和で生産的な生活を営む機会を与えることとする。

10.我々は、日本を人種差別し、奴隷化するつもりもなければ国を絶滅させるつもりもない。
しかし、われわれの捕虜を虐待した者を含めて、全ての戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を行うものとする。日本政府は、日本の人々の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって、障害となるものは排除する。
言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重が確立されなければならない。

11.日本は産業の維持を許される。そして経済を持続し、正当な戦争賠償の取り立てに充当する。
しかし、戦争を目的とする軍備拡張のためのものではない。この目的のため、原材料の入手はこれを許される。ただし、入手と支配とは区別する。世界貿易取引関係への日本の事実上の参加を許すものとする。

12.連合国占領軍は、その目的達成後そして日本人民の自由なる意志に従って、平和的傾向を帯び、かつ責任ある政府が樹立される限りにおいて、直ちに日本より撤退するものとする。

13.我々は日本政府に対し日本軍の無条件降伏の宣言を要求する。かつ、誠意を持って実行されるよう、適切かつ十二分な保証を求める。もし拒否すれば、日本は即座にかつ徹底して撃滅される。


1941年4月13日、日ソ中立条約締結。
1941年6月21日、ドイツは独ソ不可侵条約をやぶってソ連領に侵入し、独ソ戦を開始。
1941年12月8日、日本は米英両国に宣戦布告。
1945年5月7日、ドイツは連合国に無条件降伏。
1945年7月26日、ソ連を除くアメリカ、イギリス、中国が対日ポッダム宣言を発表。
1945年年7月28日、鈴木首相は「黙殺するのみ。われわれは戦争完遂に進む」との談話発表。
1945年8月6日、アメリカはB29爆撃機で原子爆弾を広島に投下。
1945年8月8日夜、ソ連は日ソ中立条約を破り、「日本がポッダム宣言を拒否したので戦争終結を早めるため」と称し日本に突如宣戦布告。
1945年8月9日、引き継きアメリカは第二の原子爆弾を長崎に投下。
1945年8月15日正午、降伏をつげる天皇の詔勅がラジオ放送され、第二次世界大戦が終結。